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8・8「八幡大空襲」を語り継ぐ
今日、8月8日は「八幡大空襲」のあった日です。
八幡東区の祝町市民センターと尾倉市民センターでは
空襲の体験談を語り継ぐイベントが開催されました。
八幡の街が空襲を受けたのは3度。展示資料によると
昭和19年6月15日 罹災者300人、死傷者約80人
昭和19年8月20日 罹災者1500人、死傷者200人
昭和20年8月8日 罹災者52,562人、死傷者2,500人
祝町市民センターでは、第1部~ピースメッセージ~として
15歳(中学3年)のときに八幡大空襲を体験した石田候一さん(83)が、
当時の八幡の繁華街の様子や米軍がまいた空襲予告のビラ、
(爆撃機の下に、騎馬にまたがる武者絵が描かれていて
「八幡のみなさん、はやく町から逃げてください」と書いてあったとか)、
そして、空襲当日や戦後に進駐してきたアメリカ兵の様子などを語りました。
休憩をはさんでの第2部は、二胡とピアノのピースコンサートでした。
石田さんによると、昨年まで皿倉小で空襲の話を語ってきたが
ヒロシマ、ナガサキの原爆のことは知っていても
約95%の子どもたちが八幡大空襲を知らないでいるとのこと。
もちろんそれは、忙しい日々の生活に追われて
歴史を振り返る余裕のない私たち大人の責任です。
祝町市民センターの来場者は、ほとんどが高齢者でした。
戦時中の街並みや生活ぶりを描いたイラスト、
紙で作った焼夷弾の模型などを使った語り部の懐かしい話に、
「そうそう、そうだった」と、皆さんうなづいていました。
次世代に「語り継ぐ」ことを目的に開催されたイベントですが、
当時を知る高齢者の方々が駆けつけて(中には車椅子の方も)
こうも熱心に、ともに苦労した戦時中の話を聞こうとする
その並々ならぬ思いに圧倒されました。
考えてみると、来場された方の一人ひとりに、
親が、家族が、友人が、ご近所さんがいたわけで、
語り部の話を聞きながら、きっとそうした人々の
懐かしい顔や思い出が脳裏に浮んでいたことでしょう。
ただ次世代に語るだけでなく、戦争でつらい経験をした方の
心をなぐさめるためにも、こうしたイベントは意義のあることではないか?
会場に詰めかけた高齢者の反応を見て、そんなことを感じました。
一方の尾倉市民センターでは、
13歳で八幡大空襲を体験した岳藤(たけふじ)悟さん(81)が語り部となって
手描きの紙芝居で、小学校当時の手旗信号や竹やり訓練の様子、
食料がなくて雑草や虫まで食べた話、空襲で雨のように落ちてきた焼夷弾、
小伊藤山防空壕の悲劇など、さまざまな体験談を語りました。
尾倉市民センターでは、子ども講座と合わせた企画だったので
20名ほどの子どもたちが集まって、保護者や地域の高齢者といっしょに
語り部の話に聞き入っていました。
こちらも第2部として「ふれあいコンサート」が開かれたほか、
ロビーには色とりどりの小さな折鶴を貼って描いた岳藤さんの作品
(上にアップしている写真はその一つです)と
当時の写真や新聞記事などの資料が展示されていました。
どちらのセンターにもTV局や新聞社が取材に来ていたので
こうしたイベントが広く知られて、今後も参加者が増えるといいですね。
ただ、子どもの参加率はその保護者次第ってとこもあるし、
無関心な親が増えれば、学校(公教育)との連携が欠かせません。
その気になれば、新聞やネット、テレビなどのメディアでも、
戦争体験者の話を読んだり、聴いたりすることは可能です。
「戦争はイケナイ」、「平和はタイセツ」。
表面的でカタチばかりの言葉は世の中にあふれていますが、
本心からの“祈り”にも似た思いを、子どもたちにどのように伝えるか?
まずは、こんなことがあった、そして今も世界中にあるという事実を
一つずつ具体的に伝えていくことが基本になる。あらためてそう思います。
話は変わりますが、
ただいま、東田地区の北九州イノベーションギャラリーでは、
「知覧特攻平和会館 北九州展」が開催されています(8月15日まで)
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/ho-huku/18200045.html
新聞によれば、初めての日曜となった8月4日は、
予想入場者数を大幅に上回る1600人が来場したそうです。
コーナーの展示パネルの中に、昭和19年8月20日の空襲のとき
北九州上空に飛来した米軍のB29の編隊に特攻を敢行し、
米軍の2機を激突墜落させた“野辺機”のパイロット2名
(野辺重夫軍曹23歳と高木伝蔵兵長19歳)の写真と記事があります。
そして今回、尾蔵市民センターのロビーに、
語り部をつとめた岳藤悟さんの思い出を記したパネルがあって、
そこには戦時中に友達と遠賀川まで釣りに行って
偶然にこの“野辺機”の特攻を目撃した話が載っていて驚きました。
さらについでながら、北九州イノベーションギャラリーには、
期間中、「零式艦上戦闘機」(ゼロ戦)のレプリカも展示されています。
宮崎駿監督の新作アニメ「風立ちぬ」をご覧になった方は、
主人公の設計者、堀越二郎に思いを馳せてみてはいかが?
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